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南方熊楠 - ミシンガン州立農学校:ウィスキーで泥酔、退学 -

南方熊楠
12 /10 2016
南方熊楠のアメリカ時代
のエピソード。

kuma9
現在のミシガン州立大学図書館


■1886年10月、 アメリカ留学の決まった熊楠は、
和歌山松寿亭で杉村広太郎(のち楚人冠(そじんかん)
と号した有名な新聞記者)ら友人たちと別離の会を開き、
神戸から横浜に向かい、東京での渡航準備や
紀州出身の学友達と留別送の会を催し、
1886年(明治19)12月22日、
横浜からシティ・オブ・ペキン号(3,120トン)に
乗船して、渡米の途についた。

これより前、親友羽山繁太郎に贈った写真の裏に、

「僕も是から勉強をつんで、洋行すましたその後は、ふるあめりかを
跡に見て、晴る日の本立ち帰り、一大事業をなした後、
天下の男といはれたい」

と、その決意の程を記している。

ペキン号は、翌1887年(明治20)1月7日、サンフランシスコ
に入港した。
翌日、上陸して、熊楠は間もなく同地のパシフィック・ビジネス・カレッジ
(商業学校)に入学した。 しかし、もともと商業嫌いな熊楠は、
勉強するつもりはなく、いわば外国生活を体験したようなものであった。

■1887年(明治20年) 8月  
1887年8月にシカゴを経てランシングに行き、
ミシガン州立農学校に入学願書を
提出し、試験の結果入学を許可された。
(ミシガン州ランシング市、現・ミシガン州立大学)

■1888年(明治21年)
寄宿舎での飲酒を禁ずる校則に違反して自主退学。

<退学の経緯>
1888年4月、日本人学生二人と幾何学の勉強中、
アメリカ人学生の乱暴に会い乱闘騒ぎが起こるが、
熊楠が認めた訴文などにより、
校長の裁判によってアメリカ人学生は
停学処分となりひとまず解決した、

しかし11月、寄宿舎にて小宴をし、
アメリカ人学生二人、日本人学生二人と
ウイスキ-を飲み、「法師さん」の遊びをし大酔して、
自室に帰る途中廊下で眠り、
雪中寄宿舎見回りの校長に発見され、
問題になることとなった。

しかし、他の四人の放校を免れる為、熊楠一人が
責任をとることとし、翌早朝、
農学校を去りアナーバーに移ったのである。。。


*「法師様(ほうしさん)」:
大阪や和歌山などで宴席に行われた遊び。
宴席に参加している者たちが輪になって座り、
その1人が手拭で眼を縛り座ると、
他の1人が輪の真ん中に座って
「法師様ぇ、法師様ぇ、どこへ盃さーしましょ」と唄い、
「さて、ここかここか」と唱えながら思い付き次第に
人々を指す。
仮の盲法師が「まだまだ」と言えば人を差しかえ、
「そこじゃ」と言えば指された人が飲まなければならない。
飲み終わって手拭を受け新たに法師となる。

南方熊楠 - 日本人の可能性の極限 (中公新書)

kuma1
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スマイルKK

趣味:マニアック且つ良い意味でクレイジーに生きた人物を探すこと!

*写真は「燃えよドラゴン」のロケ地である香港・青山寺にて撮影。
有名な「Don't think. Feel!」(あれこれ考えるな。感じとれ!)
のセリフを残した場所。

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