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南方熊楠 - 神社合祀反対運動で泥酔して抗議=>投獄=>粘菌発見!-

南方熊楠
12 /10 2016
熊楠、神社合祀反対運動でのエピソード。

kuma8



■1906年(明治39)の終りごろから、
第一次西園寺内閣は神社合祀を全国に励行し、
次の桂内閣もこれを引き継いだ。

これは、各集落毎に数々ある神社を合祀して、
一町村一神社を標準とせよというもので、
和歌山県はとくに強制威圧的に推進しようとした。

 町村の集落ごとに祀られている神社は、住民の融和、
慰安や信仰の拠)りどころであり、史跡と古伝の滅亡させるもので、
また、そこにはほとんど例外なく、うっそうとした森林があった。

神社合祀が行われると併合された後の神社林が
伐採されることで自然風景と貴重な解明されていない
生物が絶滅するのなどを心配したのである。

 各地で住民が身近な神社の無くなるのを嘆くのを見て、
当時、さきがけて合祀反対の立場をとっていた
『牟婁新報』の社主、毛利清雅の新聞に反対意見を発表し、
合祀を推進する県や郡の役人を攻撃した。

 『牟婁新報』には毎号、反対意見を投稿し、掲載され賑わしたが、
さらに『大阪毎日新聞』、『大阪朝日新聞』、『東京朝日新聞』などにも
反対意見の原稿を送り、また中央の学者に応援を求める働きかけをした。

 なかでも、東京大学教授で植物の権威、松村任三(じんぞう)に、
国・県の神社合祀のやり方をきびしく批判した長文の手紙を寄せた。

これを、民俗学者で当時内閣法制局参事官であった柳田國男が、
『南方二書』として印刷し、関係者に配布して熊楠の運動を助けた。

■1910年(明治43)8月、田辺中学校講堂(現田辺高校)で
夏期教育講習会があり、主催者側として出席した田村某は
神社合祀を進める県の役人で、熊楠はこの人に会おうと
閉会式の会場を訪れたところ、入場を阻止されたので、
酒の酔いも手伝って、持っていた標本の入った
信玄袋を会場内へ投げ込んだ。

このことから「家宅侵入罪」で連行され、
18日間、未決のまま監獄に入れられた。

結局、無罪で釈放となったが、その間、
本を読み、構内で粘菌を見つけたりした。

釈放される時、看守がそのことを知らせると、
「ここへは誰も来ないので静かだし、その上涼しい。
もう少し置いてほしい」と言って、
出ようとしなかったと伝えられている。



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kuma1
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スマイルKK

趣味:マニアック且つ良い意味でクレイジーに生きた人物を探すこと!

*写真は「燃えよドラゴン」のロケ地である香港・青山寺にて撮影。
有名な「Don't think. Feel!」(あれこれ考えるな。感じとれ!)
のセリフを残した場所。

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