松旭斎天勝 - 明治時代のプリンセス・テンコー -

松旭斎天勝
12 /09 2016
松旭斎 天勝 (しょうきょくさい てんかつ)

本名:中井かつ

1886年(明治19年)5月21日 - 1944年(昭和19年)11月11日)

明治後半から昭和初期まで興行界で
大成功した女流奇術師。
東京、神田生まれ。

女流イリュージョニストである二代目・引田天功(プリンセス・テンコー)
の師、初代・引田天功は松旭斎天勝の弟弟子である
松旭斎天洋 門下であり、遡れば彼女もまた「松旭斎一門」である。

Shokyokusai


経歴:
1895年(明治28年)、神田松富町の質屋の
娘だったが家業が失敗、
門前仲町のテンプラ屋に奉公人として勤める。

店主が当時の一流奇術師・松旭斎天一
(しょうきょくさい てんいち)だった事が縁で、
器用さを見込まれ弟子として採用された。

後に天一に妾になるよう迫られ、
自殺を図るも一命は取り留める。

それからは 奇術を積極的に自分の物にすると決心、
妾を宿命とし受け入れた。

弟子70人を数える『天一一座』でスターとして頭角を表し、
「天勝」として舞台へ出演した。

日本人離れした大柄な体格とキュートな美貌で人気を博し、
数度に渡るアメリカ興行も成功させた。

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<天勝と助手>


帰国後の公演では、スパンコールの衣裳に付け睫毛という
日本初の欧米風なマジックショーを披露。
モダンさと目新しさに大衆は熱狂した。

1911年(明治44年)、27歳で独立。
座員100名を越す『天勝一座』の座長になった。

一座のマネジャーを務めた野呂辰之助と結婚。

奇術師の立場が強くなかったこの時代、
一座と天勝を守るため野呂が
考慮した便宜上の入籍だといわれている。

「奇術といえば天勝」という代名詞にもなった程の
知名度を誇り、キャラクター商品なども
大ヒットした。

当時の得意芸としては水芸などがある。
この人気と知名度にあやかった
ニセ物の"天勝一座"も複数現れたと言われる。

引退後は姪に二代目天勝の名を譲る。

50歳を過ぎてからスペイン語の学者と出逢い、
一生を添い遂げた。

墓所は台東区西徳寺。

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<松旭斎天一 一座のポスター (明治41年公演分)左が天勝>

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■ 幕末、福井の下級武士の家に生まれた悪童は、
日本伝統奇術「手妻」と西洋奇術の第一人者・松旭斎天一となり、
日本全国はもとより、アメリカ、ヨーロッパ公演を成功させ、
川上音二郎や桃中軒雲右衛門と並び称される、
明治の代表的芸能人となった…激動の
明治のスーパースターの面白すぎる生涯を、
現役マジシャンの第一人者が描く!
松旭斎天一没後一〇〇年記念出版。
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趣味:マニアック且つ良い意味でクレイジーに生きた人物を探すこと!

*写真は「燃えよドラゴン」のロケ地である香港・青山寺にて撮影。
有名な「Don't think. Feel!」(あれこれ考えるな。感じとれ!)
のセリフを残した場所。